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" 『戦中派不戦日記』より " ............. # - 71

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昭和20年(1945)5月18日(金) 朝八時半警報。 午前中、新宿駅より牛込の方へ焼野の中を歩いて見る。何処まで行っても赤茶けた焼けトタンの海。― 他の木や壁はまったく焼失せるゆえに、トタン板のみ目に立つかは知らねども、日本の家屋にいかにトタンが利用されおるかは予想外なり。木々黒々と枯れて立ち、風冷え冷えと吹けど、日は白く、見よ青き草ところどころに土陰にかなしく萌え出でたり。大いなるビルも窓枠焼けガラス熔けて、火炎内部を荒れて通りしか、黒きがらんどうの姿あたかも巨人のミイラのごとし。山田風太郎著「戦中派不戦日記」より。
冒頭「朝8時半警報」とは、多い時に数百機の大編隊を組むB29による空襲警報のこと。まもなく原爆を落とすことになる同爆撃機は、とくに終戦まで3ヶ月を切るこの頃からは各都市上空から大量の焼夷弾を徹底的に投下した。その熱風の凄まじさ。同著には、『大いなるビルも窓枠焼けガラス熔けて』や空襲体験等もリアルに綴られている。それまでの私にとっての「焼け出される」という不明瞭な言葉のイメージが、この本によって解けたようにも思えた。

最初とりあえずは戦争による被害性からの確認からだったが、生まれ育った国の過去を知っていくほど憂鬱になる。最近の華やかなアスリート達の世界的活躍を伝えるニュースの裏では、必ず意図的に伝えられていない重要な何事かが起こっている。今から27年前頃になるが長期の海外留学から日本へ戻った人が灰色高官の実名がいろいろを浮かび上がっていたその時期に、大手新聞社の朝刊第一面にパンダが死んだニュースが載っていたのを見て目を疑ったそうである。「日本は、こんなに報道内容の偏っていた国だったかしら?」と。いや、いや、新聞等が意図的に大衆を煽るのは戦前からのこと。シニカルな報道を嫌う国民性も昔と少しも変わっていない。メディアが事実を伝えないのは変だなと薄々疑問を感じながらも文句を言わない国民は政治屋にとっては御し易い訳だが、御していた人間達もいずれ世を去り、その御されていた側が今度は国を受け継がなければならなくなるのである。これも一種のコントロール・ドラマだろうか。二月前の昨年11月下旬に開かれた参考人質疑で「記憶にございません・存じません」としらを切っていたが、その言いまわしはロッキード事件(1976年:昭和51年)の証人喚問で誕生した30年前の流行語だよ。


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