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" 私の場合 3 " ............. # - 66

October  18  Tuesday,  day 291 - 05.     Permalink    " 1. about in my case "     comentarios 0

過去に、二つを「私の場合」でエントリーし「will be continue」(続く)としながらも、その気になれず今日まで。「私にとってカホンとの出合いは演奏時の不快なストレスをほとんど感じない唯一の打楽器との出合いであり、ドラムセットとは全く別の方法で心に浮かぶその時々のリズムを手軽に表現できるところも魅力のひとつ。この出合いから、カホン奏者としての演奏活動を本格的にスタートしたのは95年頃よりで~」という内容だったと思う。

しかし・・・私が何故に95年頃からの再スタートだったのだろう。『再び起こりつつある民族音楽ブーム直前の底流に知らず知らず乗せられ・後の本流へ乗った』というだけのことなんだろうか。答えに辿り着けそうにない難儀な問いが私の中で「ぐるぐる」している最近なのである。他から見れば無意味かもしれないこの問いに我がアイディンティティーは大袈裟にリセットされてしまったのかな・・・。

テレビで中一ぐらいの時に反戦歌手ジョーン・バエズ(女性シンガーソングライター)日本公演をTVで見た(録画?)。佐藤栄作(67年当時の首相)が北爆(米軍による北ベトナムへの爆撃)を支持したことに抗議し官邸前で焼身自殺があった年だ。「非核3原則」を宣言する一方で原子力空母エンタープライズの佐世保港寄港を閣議で承認するなど、スローガンに弱い日本人の気質をよく心得ていた佐藤栄作の時代。メディアも激しさを増す東大紛争などの学園民主化運動を毎日のように報道していたものの、やはり反戦思想をどこかで忌避する空気が圧倒的だった。当時の「世界は二人のために」(左良直美)や「この広い野原いっぱい」(森山良子)などの薔薇色のヒット歌謡は、分断され管理されている日本大衆の有様(ありよう)を映じる鏡のようでもあった。

フォーク・ギターを抱え静かに反戦を歌う美しい女性。歌詩の説明でバエズが長く喋った割には訳の字幕が短く「なんか変だぁ・・・」と、中学時代の不鮮明な記憶を辿る。 will be continue...


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